AR産業とは

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日本ユニシス 中川靖士 2013-08-14 10:00

「AR産業論*1」は、ARの普及発展によって起こるイノベーション(革新的な技術やビジネス)、ワークスタイル・ライフスタイルの変化、連携する各産業へのインパクト、ARがもたらす創造と破壊(革命)、100年先の未来像などについて様々な面から論じている。本コラムはその主題である「AR産業」そのものについて記述する。

ARとは

ARとはAugmented Realityの略で、日本語では、拡張現実あるいは拡張現実感(以下「拡張現実」)と訳される。ARは「現実世界にコンピューターによって情報を付加し、人間の知覚能力を強化する」ことである。狭義のARは、セカイカメラ*2やレイヤー*3のようにスマートフォンのカメラをかざすと現実風景の上にネット上の情報をタグとして浮いて見せる技術やサービスを指す。広義のARは、視覚だけでなく聴覚・嗅覚・味覚・触覚など人間の五感、さらには、力覚、平衡感覚、あるいは直感やインスピレーションといったいわゆる第六感などを強化することを指す。

ARに似た言葉は、VR(Virtual Reality:仮想現実)「仮想世界にコンピューターによって人工的に現実感を作りだす技術やサービス」や、MR(Mixed Reality:複合現実)「仮想世界と現実世界をミックスし違和感のない空間として認識させる技術やサービス」がある。近年ではDR(Diminished Reality:減損現実)「ARとは逆に現実世界からコンピューターによって情報を削除する技術やサービス」や、SR(Substitutional Reality:代替現実)「VRとは逆に現実空間から仮想空間へのスムーズな移行を実現する技術やサービス」という言葉も生まれた。

我々はARを定義する中で「メガネはARか?」「補聴器はARか?」という議論を行った。「視力が弱い人や聴力の弱い人の知覚能力を強化しているが、コンピューターを使っていないのでARではない」と意見が一致した。しかし、「教会のパイプオルガンを聞くための特別な補聴器(残響や反響を起こさないように、教会のマイクで集音し、ラジオで送信し、受信した補聴器が再生する)は?」という問いに対して「ARではないと言い切れない」と考えている。

また、望遠鏡や顕微鏡はメガネの延長であり、ARではないが、ハップル宇宙望遠鏡や電子顕微鏡についても、同様にARではないと言い切れないと考えている。最近では、Google Glass*4が開発されており、メガネをかけるだけで「現実風景の上にネット上の情報をタグとして浮いて見せる」ことができる。まさに「ARメガネ」の登場である。

そこで、我々はARを厳密に定義するのではなく、「人間の知覚能力を強化する」技術やサービスを含む「超広義のARとしての概念」(言うなれば「拡張AR」)として捉えることにした。超広義の概念としてARをとらえることで、スマートフォンだけではなく、メガネのような人間が普段の生活の中で利用する道具に、小型のセンサー、コンピューター、ネットワークが組み込まれることで、さらにARの世界が広がっていく。

将来的には電話やメガネだけでなく、身にまとう服や自動車(カーナビ)や部屋そのもの(椅子や机や窓など)がAR化していくだろう。使い慣れた道具が徐々にAR化することで、人間から見れば、ARなのかARでないのかが判らないようになると思う。そうなれば、ARは「使えて当たり前の技術」であり、わざわざ「AR」と呼ばないサービス「名も無き存在(見えないAR)」になると考える。電気・ガス・水道や放送・通信・情報技術(IT)などが当たり前に使える社会インフラとして扱われるようになったのと同様に、ARも社会インフラとなるだろう。

AR産業とは

農業、工業、情報産業に続く4つ目の大きな産業のひとつとして「AR産業」を考える。なんらかのAR(超広義のAR)を組織的に提供する産業をAR産業と呼ぶ。これは、スマートフォンをかざして風景に情報を重ねて見せるためのネットワーク基盤やコンテンツ管理サービスという狭義の部分でなく、もっと広く解釈して、広義の人間と情報の間で扱われる拡張や強化(あるいは減損や代替)を提供し様々な感覚を「売り買い」する商売(産業)をさす。

農業革命によって、作物の生産量が上がり食べ物が豊富になった。産業革命によって石炭・石油・電気などのエネルギーを効率的に使えるようになり、力仕事をする必要がなくなった。その結果、工業製品が豊富になり、遠くへ列車や飛行機で移動できるようになった。IT革命によって、メールやHPが大学や研究機関から解放され、AmazonやGoogleによって本のみならず通信販売という小売りの仕組みや、検索だけでなく広告・地図・動画なども扱う社会インフラになった。

WebがWeb 2.0に進化した際に「集合知やロングテールによって、ウェブが使いやすくなった」と言われたように、情報産業(IT)がARに進化することで「センサー、コンピューター、ネットワークが使いやすくなった」と言われるようになるだろう。もう一歩踏み込むと「人間が意識せずに、さまざまな機器が総連携し、自然とつつまれる、体の一部のように感じる」ようになる。それは、あるアプリや広告宣伝に使われるARではなく、「AR産業」として人々にメリットを享受し、幸せにする社会インフラである。

情報産業とは

「情報の文明学」梅棹忠夫著*5の中に「情報産業論」の論文がある。これは1963年(昭和38年)に発表された論文が推敲や対談を重ね、25年後の1988年に出版された。この論文で初めて「情報産業」というキーワードが世に生まれた。当時はやっとラジオ・テレビの民放放送が始まった時代で、現代の「情報産業=IT産業」という図式ではなく、もっと幅広い領域を情報産業として捉えている。


   --- 引用 ---
   なんらかの情報を組織的に提供する産業を情報産業と呼ぶことにすれば、
   放送産業というものは、まさにその情報産業の現代におけるひとつの典型
   である。情報産業は放送だけではない。新聞雑誌も含めて、いわゆるマス
   コミという名でよばれるものは、すべて情報産業に属する。現代を「マス
   コミの時代」とよぶことができるならば、現代はまた、「情報産業の時代」
   といってもよいかもしれない。

   しかし、情報ということばを、もっとひろく解釈して、人間と人間のあい
   だで伝達されているいっさいの記号の系列を意味するものとすれば、その
   ような情報をさまざまな形態のものを「売る」商売は、新聞、ラジオ、テ
   レビなどという代表的マスコミのほかに、いくらでも存在するのである。
   出版業はいうまでもなく、興信所から旅行案内所、競馬や競輪の予想屋に
   いたるまで、おびただしい職種が商品としての情報をあつかっているので
   ある。
   --- 引用 ---

情報産業論は、情報産業として教育や宗教を捉えたり、農業・工業・情報産業の3つの視点を持ち込んだり、情報量の測定や値段付け、公共性や経済学にまで及ぶ。「第3の波」アルビン・トフラー著では、農業革命、産業革命、脱産業社会(情報革命)について語られているが、梅棹も情報産業論の中で、農業の時代、工業の時代、情報産業の時代に対して消化器官などの内胚葉産業の時代、筋肉などの中胚葉産業の時代、脳神経や感覚器官などの外胚葉産業の時代としてとらえている。

梅棹は自身の論文や書籍、インタビューやディスカッションを通じて、情報産業論を熟成し補完していった。AR産業論も同様に時間をかけ熟成させていきたいと考えている。

AR産業の必要性

「なぜARやAR産業が必要になるのか?」という問いに対して、我々は「世界の人口増加や工業化(先進国化)によって、食料・エネルギー問題がより深刻化するため」と考えている。例えば、2003年の統計で全人口がアメリカ人なみに食料やエネルギー使うと必要になる地球の個数は5.4個、日本人なみでも地球2個必要になるという。このままでは地球が足りない。

東京大学「拡張満腹感」*6は手にしたクッキーの見た目を大きく表示することで、普通サイズのクッキーを食べているのに「満腹感」を演出し、消費量を約9%減少させることができる。理化学研究所「代替現実(SR)システム」*7は過去と現実が区別できない体験装置で、あらかじめ撮影してあった過去の映像を現実のシーンと差替えても見分けることができない。

オリンピックやサッカーワールドカップなど全世界的なスポーツイベントでも、現地のスタジアムで観戦できる人々はわずか数万人で、その他の数十億人はテレビ中継やインターネットを通じて観戦している。

例えば、国立競技場で高校サッカー選手権を観戦するとテレビ中継では見えないものが見えてくる。選手のプレーがカメラのアングルや編集の都合でカットされる視野があり、テレビ局や編集者の意図のもとに作られた「ビュー」を押しつけられることになる。例えば、足の速いフォワードや技術の優れたフォワードなどはボールを持つ前からディフェンスと駆け引きをしており、その選手だけを見続けることは許されない。

また、国立競技場のスタンドに目を向ければ応援団、ブラスバンド、チアリーダー、先生や親御さん、卒業生や地域の人々の熱心な応援が繰り広げられ、勝っても負けても健闘をたたえる拍手が送られる。風の冷たさ、日差しの暖かさ、夕日の明るさなどはテレビ中継からは感じることができない。スポーツバーやサテライト中継など応援する人々の熱を感じる代替手段はあるものの、スタジアムまで行く途中の期待感や帰り路の余韻などを伝える(感じる)手段はない。

ARやAR産業によってテレビ中継よりももっと没入感や一体感のある観戦ができるようになれば、また、東京大学「拡張満腹感」や理化学研究所「代替現実(SR)システム」が実社会でも利用されるようになれば、映画「マトリックス」に示された世界感のように、人間は夢の世界か現実の世界かどちらで生活しているかさえ判らなくなる。AR産業によって食料問題やエネルギー問題を緩和することができると考えている。

さらに、カーナビが自動車の運転手を支援するように、ARやAR産業によって、農業や工業、情報産業で働く人々の能力を拡張して生産性を上げたり、無駄を省いたりするようなことも可能だと考えている。例えば、取扱説明書やマニュアルなどにも頼らなくても、未経験者が熟練工のようにスムーズに仕事をこなすことにより食料増加や省エネルギーに貢献できるだろう。いままでの現実を、人間を、産業を拡張・強化する。それこそが「AR産業」である。

【参考文献】

  1. AR産業論 http://aitc.jp/bizar/theTheoryOfARIndustry/talk1.html
  2. セカイカメラ http://sekaicamera.com/
  3. レイヤー http://www.layar.jp/
  4. Google Glass http://www.google.com/glass/start/
  5. 梅棹忠夫(1999) 情報の文明学 中央公論新社
  6. 拡張満腹感 http://www.cyber.t.u-tokyo.ac.jp/~narumi/augmentedsatiety.html
  7. 代替現実(SR)システム http://www.riken.jp/pr/press/2012/20120621_2/

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