AR産業論
はじめに
AITCビジネスAR研究部会*では、2012年7月から11月にかけて、「AR産業論」に関する議論を行いました。ここでは、その内容を対談形式に編集してお届けします。
2011年の中頃から、中川(靖士)による「ARの技術やビジネス展開だけでなく、ARを取り巻く状況を「産業」として捉える議論を行うべきだ」という問題提起がありました。ここにお届けする議論は、これに応える形で中川(雅三)がAITCのSNSにスレッドを立て、皆に呼びかけて始まったものです。
元々が仲間内でのSNSの書き込みですので、対談形式にするにあたっては、順序を入れ替えたり、表現を外部の方に分かり易く変更するなどの編集を施しています。また、長い書き込みについては、今回の対談形式のものとは別にコラムとして公開して行くこととして、今回の対談形式の文章からは省いています。これらも参照していただければと思います。
なお、元々のアイデアはそれぞれの参加者に属しますが、編集については作業を行った武にその責があります。ご了承ください。
参加者(アイウエオ順):
大林 勇人(大林と略記)
武 理一郎(武と略記)
中川 雅三(雅三と略記)
中川 靖士(靖士と略記)
第一章 革命の予感
- 雅三:靖士さんから提案のあった「AR産業論」の議論をしてみようと思います。ネタとして、「社会産業」と「コンテキスト産業」というコンセプトから議論を始めたいと思います。まず、「社会産業」というのは、クラウド、スマートデバイス、IoT(Internet of Things)といった仕掛けが揃うことで、「消費者vs産業」というこれまでの図式から、社会全体が産業であり消費者であるという状態になるという意味。
社会産業の観点では、サービスが生産・消費されることが主役となりますが、これを単に「サービス産業」と呼ぶのではなく、「コンテキスト産業」と呼びたい。コンテキストとは、「人、モノ、情報を結び付ける上位の情報とその処理」のようなイメージです。コンテキストに基づいて、人や会社やIoTがサービスを提供する「コンテキスト産業」が、これからの世の中を作りだしてゆくというわけです。そして、BizARは、サービス流通の現場でのコンテキストを担うものとして位置付けることができると思います。 - 靖士:我々は、ARを「人の知覚を強化するサービスや技術」として相当広く捉えていますから、ARの影響は、単にコンシューマー向けに目新しい表現形式を提供するということに留まらず、社会全体を変化させて行くだろうというのが我々の出発点ですよね。
社会が変化していく方向として、社会全体が産業であり消費者という状況になって行くという視点からは「Web2.0」を思い出します。ブログのRSSやトラックバックの流行で、情報の消費者だった人々が発信側に立ってCGMが広がりました。Amazonのロングテールでも、消費者のコメントが大きな価値を作り出しました。IT革命で情報が身の回りに行き渡り、情報産業・サービス産業が当たり前になりました。クラウドやスマートデバイスが更にそれを加速し、世界の隅々まで行き渡った時に革命や産業が起きるのでしょう。それが「AR産業」かも知れないし、「社会産業」なのかも知れません。 - 大林:Web2.0では、コンシューマーが「意図的に」発信している情報が中心でしたが、ARの議論では、コンシューマーが「意図せずに」発信している情報も取り込んで、データ・インテリジェンスとのフィードバックループを回すというところまで、踏み込みたいですね。
- 雅三:宇宙や海のような未開拓な領域に踏み出すのでない限り、モノやエネルギー生産の限界がすぐそこにあるのは明らかです。「サービス」にしか成長の余地はないというわけで、「成長を前提とした資本主義」のつぎのしくみがみえてくるまでは、サービスでつなぐというのは正解そうですね。
一方、Amazonが買収した自動倉庫、Googleの自動操縦車、などをみていると、人類は「機械に養われて、贅沢はできないが働かなくても飢え死にしない」という状態に到達するのかもしれません。自然に回帰する人は当然いるでしょうが、全人類を養うという視点からみれば、最高の贅沢、最悪の浪費、ということになるのでしょうか。その状態では、スポーツ、芸術、哲学(科学・技術も)、宗教などが生きがいとして残ってゆくのかも知れません。 - 靖士:武さんが「全世界の人が先進国なみの生活をすると地球が数個必要になってしまう」と言っていますよね。AR産業で、発展途上国の近代化にともなう食料エネルギー問題に対する1つの方向性を打ち出せるかも知れないし、「スポーツ」や「サービス」を通じて、いきがいを支えることに繋がるかも知れません。
- 雅三:千葉工業大学の安藤先生のサービスサイエンスに関するプレゼンテーションが公開されていますが(1)、ARはサービスサイエンスで言う「タッチポイント」を実現する技術として位置づけられるとも言えそうです。
- 靖士:『顧客はサービスを買っている―顧客満足向上の鍵を握る事前期待のマネジメント』(2)を見て、サービスサイエンスはソーシャルメディアと親和性が高いなと思っていたのですが、ARもサービスサイエンスを実現するひとつの技術なのかもしれません。
- 大林:『日本のもの造り哲学』(3)には「現代の企業が扱うおよそあらゆる製品やサービスは、「設計情報プラス媒体」です。(中略)顧客が消費しているのは、基本的には設計情報なのです」との主張があります。私はこの「設計情報プラス媒体」こそ広義のサービスだと捉えているんですが、ARはこの広義のサービスのExperienceを飛躍的に高める技術体系だと認識しています。
慶応大学の大西先生は、「マイテクノロジー」という概念を提唱していて(4)、「(従来の科学技術は)公共的で社会的な目的である“少品種大量”生産に特化していた。(中略)これに対しマイテクノロジーは、社会を構成する各個人の身体性や価値観に適合させた私的な技術を提供することで、個人の行為を物理的に支援するための技術だ」と言っています。我々の考えるARの価値に近いですね。 - 靖士:今後のAR産業の進展について、こんなイメージが浮かびます。
- スマホによってアプリが星の数だけ作られ使われる、
- 玉石混交になり検索や、ロングテールが働く、
- ホームページや本がたどった道をアプリも歩む、
- アマチュア作家やプログラマーがプロに肩をならべる、
- マスメディアの影響力が小さくなり一般市民が力を持つ、
- フランス革命や明治維新の様に社会が動く予感、
- アマチュアリズムによる資本主義の崩壊はじまり、
- 新たな幸福度や満足度の枠組みが今求められている。。。
- 大林:もう一点、クリス・アンダーソンは『FREE』(5)で「ビット(デジタル)は限界生産コストがゼロなので、必ずFREEに近づく」「逆にアトム(フィジカル)は限界生産コストが発生するので、FREEの重力から免れる」と言っていますが、ARはビットとアトムの間にある技術ですから、AR産業論の議論では、サービスの「コモディティ」と「プレミアム」の見極め、どの様にミックスさせるかといったことが大事ですね。
一方、2010年代初頭から、情報産業には、
- フィジカル固有の価値を一層引き出すように拡張する、
- フィジカルのリアリティ・説得力をサイバーに適用する、
第二章 根底から変化する社会
- 靖士:ARが社会に与えるインパクトについて、産業、サービス、といった観点から議論して来ましたが、次は人々の日常生活に対する影響についても考えて行きましょう。
- 大林:宇野常寛さんの『リトルピープルの時代』(6)が面白いんですよ。我々の議論を背景に勝手な要約をさせてもらうと、90年代までの社会が「大きな物語」を意識して回っていたのに対して、2000年代になると人々は外部にある「虚構」を失って、今ここにある「現実」に向き合わざるを得なくなったとした上で、ARは現実を「ハッキング」することで、この様な状況をソフィスティケートできる、としています。ARは確かに「フィジカルな場の固有性が持つ価値」を拡大・拡張する可能性を持っていますよね。
- 靖士:ARによってハックされた拡張現実感(或いは「錯覚・勘違い」)をサービスとして受け取る人々は、「喜び」(あるいは幸福感)に昇華させ、次なる行動(リアクション)につながるのだと思います。『バースト!人間行動を支配するパターン』(7)では、人の行動は予測可能かという問いを議論していますが、もし本当に行動予測が可能だとすれば、我々はARでどんなサービスを提供すればいいのかというのも議論の一つの方向ですね。
- 大林:「データジャーナリズム」という流れが生じつつありますが、オープンデータをそのままで提供してしまうと、よほど数字にセンスのある人以外は、置いてけぼりにされてしまう可能性がある。多くの人々に正しく伝えるには、「データ=理性」を「感覚的な何か」に、原本性を損なうことなく変換した上で提供することが大事です。このような、「"理性”を担保した”感覚”」を提供するのもARで可能となるサービスかもしれません。
逆に突拍子もないサジェストや事態に遭遇することにより、感動が生み出されるといった現実もあり得ますよね。そんな状況をコンピューティングで実現する「セレンディピティコンピューティング」というのが「コンテキストコンピューティング」の次のトライアルかも知れません。但し、コンピューティングによって真のセレンディピティが実現するのかという議論もありそうですが。 - 武: 私は「Social Hormone」というコンセプトを考えているんですが、これは、人々の状況に応じてリアルタイムで適切な情報を提供することで、人々の行動や判断に柔らかく影響を与えて、法律や規制やモラルを補完しようという考え方です。運転していてアクセルを踏もうとする瞬間に、スピードを上げることによる事故率の増加を知らせるとか。ARは、人々とオープンデータを状況に応じてリアルタイムで結ぶ時の鍵となる技術要素ですね。
- 大林:社会学では、社会自体に実在を認める「社会実在論」と、個人だけが実在であり社会は擬制的な存在にすぎないとする「社会唯名論」という相克する立場がありますが、Social Hormoneは実在論っぽいですね。
- 雅三:細胞が集まることで様々な働きが創発して器官や個体になるように、人間の集まりが個別の人間からは直接想像できないような働きを創発することはあるでしょう。そのようなシステムをコントロールしようとしたとき、Hormoneのような生体のしくみを模してゆく方法は正解そうですね。ただ、生体や生態系の「風が吹けば桶屋が儲かる」的な複雑さをみていると、そのようなシステムを事前のプログラムで意図的に制御するのは困難だとも思います。「未知の現象の創発に備える」ということが一つの課題となりそうですね。
- 大林:未知の現象の創発というところは、先ほど話題にした「セレンディピティコンピューティング」とも重なりますね。難しいけれど、挑みがいがあるテーマだと思います。
- 武:Social Hormoneでは、「個々の人間の精神的/知的な特性が変化したら、その変化はマクロな社会現状として現れるのか」ということを考えています。こう表現すると、どちらかと言えば「唯名論」っぽいかな。いずれにせよ、私の興味は、人間の特性を変化させて、何がしかの良い変化を社会にもたらすこと。私には、法律、市場経済、倫理、正義といった、人間が発明したり進化の中で獲得してきた仕掛けだけでは足りなくなってきていると感じています。
- 雅三:母校のキャンパスの中庭をデザインするとき、「まず何もない状態で一定期間使うと、よく人の歩く場所が見えてくるだろう。そこを道にすればよい」と私の師匠が提案したところ、実際に設計をしていた人たちは「人がどこを歩くかをデザインするのは私たちだ」とにべもなかったそうです。私には両方の方針が必要であるように思えます。なにより重要なのは、「進化が可能なデザインとする」ということ。その上で、「演出家的な設計者が人の行動を誘導する」とか「創発を促すような仕組みをつくり、出てくる現象を利用する」といったことを試行錯誤して進化を行うわけです。
- 武:私も両方の方針が必要だと思います。私の考え方は、「まず、人々に歩かせてみよう」「よく人が躓く場所があるなら、人が通らない様に、そこにゴミ箱を置いてみよう」といったものです。大林さんの言う「理性を担保した感覚」が「ゴミ箱」の役目を果たして人々の行動は微妙に変化し、その変化がマクロな指標に表れてくる可能性があると思っています。但し、本当に変化が現れるか、現れた変化が望ましいものかはやってみなければわからない。ですから、やはり「進化が可能なデザインとする」ことが大切ですね。
その様に社会を進化させようとする時、法律を制定するとか、キャンペーンで人々を「教育」するとか、モラルに期待するといった方向ではなく、どんな状況の人にどんな情報を提供するのかというARが頑張れる部分を調整していくというやり方がありそうに思っています。 - 大林:思いっきり抽象化・形而上的な議論をすると、プラトンのイデア以来の、人間の外側に「標準的・汎用的な規範・システム・仕掛け」を設けて、全ての人間がそれに合わせなければならないとする考え方や思考法が限界に来ているのかもしれません。実は、1950年代以降の「フランス現代思想」では、この問題意識に対して、「実存主義」「構造主義」「ポスト構造主義」等々、色々な議論が展開されていたのですが、結局のところ思考の袋小路にはまって、現実の変化に対応できなかった様にも見えます。
その点、「人間の特性を変化させて、何がしかの良い変化を社会にもたらすこと」はこの体験を乗り越えられる可能性があり、恐らく現在起こりつつある変化を絶妙にすくっているのではないかと思えますね。 - 雅三:どういう方向に進化させて行くかについては、アーキテクトがその責任をテイクすることになるのかな。企業を超えたレイヤが必要そうですね。
- 大林:うーん。多分アーキテクトはテイクできないのではないでしょうか。例えば、未来のARアーキテクチャが起こすかもしれないインシデントの責任を我々が取れるのか(笑)? 私は、ユーザーがテイクするということも考えられるのではないかと思っています。ARやVRを使うと、センシングやシミュレーションに要するコストが劇的に下げられるので、ユーザーが「望ましい」とするレベル・パラメータの設定や、それを感覚的に体験してみる仕掛けも容易に構築できるのではないかと。
第三章 幸せをAugmentするテクノロジー
- 靖士:少し形而上学的な話題が続きました。ここで、もう一度、人々の生活のレベルの話題に戻りましょう。
- 武:第1章の最後で靖士さんが「新たな幸福度や満足度の枠組みが今求められている」と言っていますよね。ARは人々の幸せを強化するテクノロジーでもあるという視点も大事だと思います。以前、大林さんが紹介してくれた、『幸福の戦略』(8)を見ても、「経済的成功より日々の幸せを」といったスローガンではなく、工学的、産業的な立場から幸せをミクロに制御して幸福度の向上を目指して行ける可能性が出てきている様に思えます。
- 大林:なるほど! そもそも「高度知識産業」とは、「顧客に知識や情報を売る」産業なのではなく、「顧客が感動や幸せを獲得するお手伝いをする」産業だということですね。例えば、BMIを使って、「感動」や「幸せ」を感じたときの脳波をセンシングし、その際のコンテキストや周辺環境をトレースした上で分析するといった営みを半自動化するといったシステムもARの範疇に含めても面白いかもしれません。
- 雅三:セレンディピティや未知の現象も、人間にしか認識できない訳ですから、ユーザインタフェースを担うARとしては、人間が感動しているとか動揺しているとかといったことを扱う必要がありそうですよね。「幸福度」まで測れちゃうと手っ取り早いのですが。
- 武:実際に幸福度を測りたいと思っているんですが、まずは「困惑度」が測れないかなと考えてるんです。教室で授業が分からなくて困っている生徒や、街で方向感を失って困っているシニアの方が居たら助けてあげる、という様な使い方ができないかなと思っています。小売店でも、顧客が困っていることが分かったら、色々とやってあげられそうですよね。発汗とか心音とか脳波とかヒントは色々とありそうです。
- 大林:「困惑度が減少したら(わずかばかりでも)幸せになった」と考えれば、確かに「人を幸福にできるサービス」の第一歩かもしれませんね。
- 武:創発やセレンディピティに関しても、ARによる「誘導」という手段が有効な場合があると思っています。ARは人々とシステムとの接点を拡大するので、放っておけば、『閉じこもるインターネット-グーグル・パーソナライズ・民主主義』(9)で糾弾されている様な過剰な情報操作に繋がるかも知れない。しかし一方で、「誘導」はうまくデザインすれば、大きな価値を提供できる手段だとも思っています。例えば、家に引きこもりがちなシニア層を屋外に出る様に「誘導」したり、その中で様々な出来事との出会いに「誘導」したり。
- 大林:「一般ユーザーを無自覚に誘導して幸福にするアーキテクチャ&空間を、専門家が意図的に設計する」といった方向性は以前から批評家の東浩紀さん(10)が指摘していましたね。実は私も「誘導」が当たり前のようになるということは確信しているのですが、そのような「誘導」の設計者及び管理者に対する牽制も同時に考えておかなければならないといった考えを抱いていました。ただ、そんな「ビッグブラザー」的な存在を想定するのは無理がありそうなので、直近では「"理性”を担保した”感覚”」をARやVRで実現できないのか。」といった考えにいたっています。
- 雅三:『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(11)には、1965年を境に日本全国から「キツネに騙された」という物語が発生しなくなったということが書かれています。かつて存在し機能していた、西洋の合理性とは違う心のあり方を、ARによって、五感を総連携して拡張された身体感覚や背後にある巨大なネットワークを感じることができるようになった時、取り戻すことができるかも知れない。
争いをしずめ、ひきこもりを連れ出す「和のアーキテクチャ」には、昔の物語や掟の役割をシステムに持たせるようなデザインもあるかもしれませんね。理屈じゃない部分があって、感性に訴えるような、人間をシステムに組み込むアーキテクチャになりそうな予感がします。西洋的な合理性を超える、日本的アーキテクチャを提案できるタイミングかもしれないですね。
【参考文献】
- http://www.slideshare.net/masaya0730/uxd-in
- 顧客はサービスを買っている―顧客満足向上の鍵を握る事前期待のマネジメント, (監修)北城 恪太郎, ダイヤモンド社
- 日本のもの造り哲学, 藤本隆宏, 日本経済新聞社
- http://expo.nikkeibp.co.jp/scw/2012/column/0913/page2.shtml
- フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略, クリス・アンダーソン,日本放送出版協会
- リトル・ピープルの時代, 宇野常寛, 幻冬舎
- バースト!人間行動を支配するパターン, アルバート=ラズロ・バラバシ, NHK出版
- 幸福の戦略, Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年05月号
- 閉じこもるインターネット-グーグル・パーソナライズ・民主主義, イーライ・パリサー, 早川書房
- 東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム, 東浩紀・北田暁大, 日本放送出版協会
- 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか, 内山 節, 講談社