ARが救う100年後の人類
日本総合システム株式会社 中川雅三
Hedy Lamarr は、1940 年代に世界一の美女と呼ばれ、ハリウッドで活躍した女優である。 彼女の最初の夫は武器商人だった。U ボートを撃沈するために、敵に探知されずに魚雷を制御する方法を求めていた。
議論に参加した Hedy と友人の前衛音楽家 George Antheil は、ピアノ演奏から着想して「周波数ホッピングスペクトラム拡散変調(FH-SSM)」という通信方式を発明した。 彼らの発明は当時の技術ではきわめて実装が困難で、1942 年に取得した特許が有効期間内に実装されることはなかった。1960 年代にみなおされて軍事目的で開発された通信装置は、ビル 1 個を占有するほどの大きさだった。
21 世紀初頭の現在、この通信方式は世の中の基盤技術の一つとして、様々なところで使われている。FH-SSM を採用した Bluetooth は、おもちゃにも組み込まれているほどである。
1997 年、Hedy はこの功績で米国電子フロンティア財団から特別表彰を受けた。
コンピュータが人間の五感や四肢の能力を拡張する ― AR がこれまでのシステムと一線を画すのは何でしょうか。 「人間がコンピュータと対面して指示を出すという使い方」から、「コンピュータが人間の一部になるという使い方」への転換が AR の本質だ と、筆者は考えます。
1980 年代ころまで、コンピュータへの入力といえばキーボード(あるいは間接的にパンチカードや紙テープ)、出力はキャラクター端末やラインプリンターでした。 コンピュータの身になって考えてみると、真っ暗闇、静寂の中で、どこからか文字がときどき与えられ、計算結果を文字として出力していたのがこの時代です。
グラフィックディスプレイやマウスが加わり、Beep 音から、任意の音声を出せるように進化し、コンピュータはより親しみやすい形で、情報を人間へ渡すようになってゆきました。 そして、今ではリアルタイムの画像や、ユーザの位置、姿勢などを得るセンシング能力と、高い演算能力、動画像や合成音をユーザに伝える力を得て、コンピュータはだんだんと人間に近い状況認識、コミュニケーション能力を得つつあります。
こうしてコンピュータの能力が充実してきたところで、AR ― 拡張現実(あるいは拡張現実感)という使い方が生まれました。
AR は、人間が五感によって外界から受け取る情報にコンピュータが計算した情報を重ね合わせることで、人間の知覚が拡張されたようにみせる技術としてスタートしました。カメラの映像に、今そこには無いものを重ね合わせてみせたり、映っているものに説明をつけたりするシステムが、広告やカタログに使われました。 その後、知覚を拡張するだけでなく、現実に対する操作を行うこともできるような AR も作られるようになりました。 テーブルに投影した映像に触れて操作する家電リモコンや、Kinect のようなデバイスで人間のジェスチャを認識するシステムなどです。近い将来、自動運転車、パワードスーツやロボットも AR の一部として人間の力を拡張するようになるでしょう*1。
AR が出現するまでは「人間がコンピュータと対面して指示を出すという使い方」でした。AR では「コンピュータが人間の一部になるという使い方」になっています。この発想の転換が AR の本質だと筆者は考えます。 私たちは歩くときに、左足が着地したのでつぎは右足を動かす、といったことを意識していません。足は人間の一部だからです。テニスプレーヤーにとってラケットは人間の身体の一部になっています。人間がやっていることは「ラケットを振る」ですが、本人は「球を打つ」と意識しています。メガネをかけている人がメガネを意識しないように、熟練した運転者が車と一体化しているように、障害物を察知した盲導犬が静かに立ち止まってそれを伝えるように、無意識のうちに使う、必要なときに必要最低限のレベルで意識にのぼる ― コンピュータが人間の一部になるというのはそういう意味です。
このような観点でみなおすと、一般には AR と認識されていないシステムにも AR であるとみなせるものがあります。 たとえばカーナビ(カーナビゲーションシステム)です*2。
カーナビは車の一部であるだけでなく、運転者の一部としてドライブをサポートしています。カーナビは様々な手段によって情報を収集し、音や視覚によって運転者に情報を伝えることで、運転者の知覚や行動能力を拡張します。 カーナビは、自動車と連携して運転操作の情報や位置情報を得るほか、インターネット上の様々なサイトと連携して、 そのときどきの状況に合わせた、渋滞情報や、訪問地域の様々な情報を得ています。
知覚を拡張したカーナビは、得た情報すべてを人間に伝えるわけではありません。たとえば大事な曲がり角の手前に来た時にだけ進路をアナウンスするために、ユーザもまたシステムの構成要素と考えて設計が行われているのです。
AR システムは、単にユーザの操作にしたがって動作するシステムではなく、自発的に多様な情報を収集し、ユーザの 意図をモデル化し、ユーザの反応を予測し、ユーザにとって使いやすく邪魔にならないシステム ― 普段は意識にも のぼらないような人間との一体化を目指してつくられるのです。
さらに AR は、様々なデバイスやサービスをアドホックに連携させ、センシングとフィードバックをリアルタイムに実現するようになってゆきます。そして、身の回りのコンピュータたちは「重ね合わされた」AR システムへと進化するでしょう。
ここで「様々なデバイスやサービス」とは、ユーザが身につけたり乗ったりしているデバイスはもちろん、ユーザがいる建物や道路、クラウド上の様々なサービスなど、世界中に分散して存在しているデバイスやサービスたちを指します。 人間がかかわるあらゆるものと連携しながら、コンピュータは人間をサポートするようになるでしょう。 そうした連携は、アドホックに ― その場、その時に必要に応じて行われるようになります。世の中にあるあらゆるものが連携するので、事前に綿密な設定を行っておくことができないからです。
たとえば先ほどとりあげたカーナビは、もっと様々なシステムと連携するように発展してゆくでしょう。クラウド、スマートフォン、スマートハウスなどとの連携はさらに進み、様々なアプリケーション同士も連携するようになります。 カーナビシステムの所在も自動車に搭載した箱である必要はありません。運転者が持ち込んだスマートフォンでシステムが動作していてもかまわないのです。
システムを構成するデバイスやソフトウエアはアドホックな離合集散を繰り返してサービスを提供します。 どこからどこまでがカーナビなのかはわからなくなり、その境界を定義する意味も薄れて ゆきます。
出かけるとき、未来のあなたがもつ「カーナビ」は、今日のスケジュールをあなたのスマホかどこからか入手します。
そして、行き先方面でその時刻にマラソン大会による広域の通行止めがあるという情報をまた別のどこからか入手し、 「今日は電車を利用してはいかがですか」などと提案するのです。その後も、主人の行動をサポートする仕事をその日 1 日続けます。自動車を使わないことを勧めた時点でもはや「カーナビ」とはいえない存在になってしまうのが、未来 のカーナビです。
現在、デバイスやサービスの連携は未だ狭く限られた領域でしか実現していません。たとえば、「カーナビがあなたの スケジュールを取得する」という機能を実現しようとすると、カーナビとスケジュール管理アプリケーションが通信す るための専用プログラムを書かなければならないからです。ビデオデッキとテレビをつなぐときには標準規格があって、 どのようにでも組み合わせることができます。しかしカーナビとスケジュール管理のように、異なる業界の製品同士をつなぐ規格を作るのは、現在は困難です。様々な組み合わせすべてに規格を作ること自体簡単ではありませんし、縦割り構造になっている産業界を横につなぐという発想はなかなか受け入れられません。
しかし、こうした状況は、将来様々な産業間をまたぐアプリケーションのためのプラットフォームが出現して、解決してゆくだろうと筆者は考えています*3。
将来は、あらゆるデバイスやサービスを連携させるような産業間の水平連携が進むでしょう。 たとえば身の回りでみてみると、今はヘルスケア用品のメーカーがヘルスケアサービスを提供しています。しかし将来 は、スマホ、トイレ、ベッド、冷蔵庫、体重計などについたセンサーやディスプレイ、アクチュエータなどを、医療や 流通などの様々なサービスが共用するようになってゆくでしょう。 様々な産業が成熟し、成長の限界に到達しています。しかし水平連携ができるようになると、新しい産業をつくりだす領域が組み合わせ的に増えてゆきます。
身の回りのものが連携して、人々を幸せにしながら様々な産業を生み出す— そのような可能性を AR は持っているのです。
AR ― すなわち、コンピュータが人間に寄り添い、人間を補助するアーキテクチャが発展し、世の中のあらゆるコンピュータがつながり、ひとつのシステムとしてユーザに仕えるようになると、筆者は 予想します。
システムはあなたのシステムであると同時に、誰かのシステムでもあり、公共のシステムでもあるようになるでしょう。 カーナビであると同時にヘルスケアツールやコンシェルジェであり、道路情報システムであり、防災システムでもある、 すべてがつながり、「重ね合わせられた」システムへ発展してゆきます。
すべてがつながるといっても一体化するわけではありません。システムには中心がなく、たとえば大災害で分断されてもそれぞれの部分は活動を続けるようなものになります。一つの思想をシステムが押しつけるのではなく、様々な思想 のためにシステムが利用されるでしょう。たとえばユーザが所属する国、地域、組織、家族、同好会などの様々な人の集まり*4、あるいは食事、睡眠から読書や放浪まで、人間の様々な活動に最適化されたコンテキストがシステムに同時に存在し、必要に応じて人間をサポートします。
発展した情報システムは、水道や電気のような社会基盤として人類を支えるようになります。
AR は、人間にとっての拡張現実であるばかりでなく、社会にとっての拡張現実になるポテンシャルを持っているのです。
― そして、
AR は、人口、高齢化、資源、戦争といった様々な問題を解決する ― 100 年後の人類を救う ― というのが、この稿に与えられたお題なのですが、はたしてそうなるのでしょうか。
今私たちは、地球が支えきれないほどの人口増加と環境破壊という問題を抱えています。100 年というスパンで考えると、大きな戦争などの破局的な事態を避けながら、人口と生活を安定させ、人々を幸せにするということが最大の課題だと言えるでしょう。
WWF のリポート*5によれば、人類による地球資源の消費を抑えることがきわめて重要です。たとえば 2010 年のリポートでは、世界中の人々が米国人並みの資源消費をすれば地球が 4.5 個、日本人並みの生活で 2.6 個必要だという試算を示しています。
一方、公衆衛生学者のハンス・ロスリングによれば*6、最貧国における子供の死亡率を下げることによって、地球の全人口を、90 億人をピークに減少に転じることができるといいます。貧しい人々を貧しいままに放置するのではなく、教育をゆきわたらせ、健康で文化的生活を送ることができるようにしてはじめて、人々は安心して少子化を選択するように なるというのです。
すなわち、人類の破局を避けるには、資源の消費を抑えながら、最貧の人々の生活レベルを向上してゆくことが必要だということです。そして、もしそれが可能だとしたら、進歩した IT 技術の適用によって資源利用を抑えながら人々の暮らしを改善するという方法しかないだろうと筆者は考えます。人類のあらゆる活動 ― 農業、漁業、工業、エネル ギー、医療、教育、などすべての分野での地球規模の最適化は人力では到底できないことであり、IT 技術による分析と制御が必須となるはずだからです。
一方、コンピュータには智恵がありません。どのような場合でも、人間が問題を解決してゆかなければなりません。 そのためにひしめく人々の間に適切なコミュニケーションを実現し、多くの智恵を集めて課題を解決するためにも、IT はなくてはならない道具となるはずです。
アフリカの牧畜民の間に普及した携帯電話についてのリポート*7があります。 ― 牧畜民だから家畜の管理に使うだろうという調査者の予想に反して、儀礼の連絡や挨拶が利用の多くを占めていた。最初は部族間の紛争のための道具として使われ、今では敵対する部族間の連絡によって紛争を防ぐという効用が注目されている。―
情報技術による能力の拡張は、それを使う人々の創意工夫によって、人類を救うポテンシャルを持っているという一例だといえるでしょう。
Hedy Lamarr たちが発想した巧妙な通信方式は数十年後に実現し、さらにはおもちゃに使われるまでに普及しました。 原理的に実現可能な技術は必ずいつか実現してしまうのが人類です。そして、それらの技術は発案者の想像を超えた形で社会に受け入れられてくということが Hedy の残した教訓かもしれません。
その教訓をあてはめてみれば、世界中のデバイスが連携して世界中の人をサポートする「重ね合わされた」AR システムはいつか実現します。しかし、それがどのように社会に受け入れられるかには様々な可能性があり、たぶん予想もつかないかたちで実現してゆくのでしょう。
今後の人類の行く末を論じた著作が、最近もいくつか出版されています*8。
これらの主張に共通するのは、情報技術には、おかね、民主主義、会社、国、家族などの現在の社会のしくみを変革あるいは破壊する力があり、遠くない未来に現在とは異なった社会が現出するだろうという考え方です。
それがどのような社会になるのかを今予想することは困難でしょう。しかしどのような社会となるにせよ、その社会は情報技術によって能力を拡張されていることだけは確かだと筆者は考えます。 水道のない社会、電気のない社会、冷蔵庫のない社会がもはやあり得ないように、情報技術のない社会はあり得ません。 資源の利用効率、様々な地域・世代・性別の人々それぞれの生活の豊かさ、敵対する人々の間のコミュニケーション、 自然環境への気付きなど、人類の様々な能力を情報技術は拡張することができます。もし 100 年後の人類が救わ れるとしたら、AR が立役者になるはずです。
一方 AR は、悪意の人々の能力をも拡張してしまいます。善悪は相対的なものであるとはいえ、犯罪者や独裁者に乗っ取られるような事態は絶対に避けなければなりません。セキュリティを守ることは今よりさらに重要になります。 情報技術が、普通の個人の行為を意図に反して拡張してしまうこともあります。本人にとってはなにげないネット書き込みが、とりかえしのつかない事態を呼んでしまうことはすでに発生しています。ネットへの書き込みは、いわば世界 中に到達できる拡声器になってしまったのです。情報システムが世界中に到達するリモコンや財布や監視カメラになったとき、様々な安全対策が考えられるようになったとはいえ、予期せぬできごとも起こるし、人々の常識も変わってゆくでしょう。
悪意、故障、予期せぬ影響との戦いは、AR の進歩の最も苦しい側面となるに違いありません。しかし、社会制度とセキュリティを守るための技術開発によって、完全とはいかないまでも実用できるレベルのセキュリティを実現してきた 人類は、今後も不断の努力によって現実と折り合いをつけてゆくだろうと考えます。
そしてわたくしたちは、このような技術の得失を理解しながら、人類が生き延びることができる方向へ発展を導いてゆくことができるはずであり、そうしなければならないのです。
Hedy Lamarr は 1913 年に生まれ 2000 年に世を去りました。
たぶん生まれたときより平和で幸せな世界を見ていたのではないでしょうか。
今年 ― 2013 年に生まれた子供たちが 2100 年を幸せに迎えることができるようにするために、わたくしたちが確実 にできることのひとつが、急速に発展する情報システムをよりよくデザインしてゆくことなのです。
(囲み記事)
AR システムの要素としての、人間の究極の役割は、決断し創造すること
だと筆者は考えます。デジタルコンピュータは数学 的な存在であり、
自発的な価値判断の基準をもたず、また未知のあらゆる問題に対処するこ
ともできないからです。
価値判断や未知の問題への適応をプログラムすることもできますが、万能
ではありえません。 デジタルコンピュータの原理的な限界を示す定理が
いくつか、数学的に証明されています。
「 停止問題の決定不能性定理: 任意のコンピュータプログラムが正しい
ことを検証できるコンピュータプログラムは存在 しない」
しかし人間は、「証明」はできないにしてもプログラムの正しさを検証し
たり、誤った動作を誤っていると判定したりするこ とができます。また
事故が起きたときに責任をとれるのも人間だけです。
「 ノーフリーランチ定理: あらゆる問題に対して性能のよい最適化アル
ゴリズムは存在しない。」 しかし人間は、様々な問題にぶつかるたびに
解決方法をなんとか編み出しています。
「アローの不可能性定理: すべての当事者にとって合理的で民主的な決断
アルゴリズムは存在しない。」 しかし人間は、不完全ながらも多くの人が
合意できる制度を維持・運用しています。
将来、人間の脳の原理が実はコンピュータと同じで、同じ限界をもつもの
であると明らかになることがあるかもしれません9。 仮にそうであっても、
完璧な答えを求めることが不可能なことに満ちている現実世界の中で、
最終的に人間の判断や工夫を採 用するということは合理的であり、必要な
ことです。
そもそもコンピュータは人間のために存在するわけですから。
注釈
- 「コンピュータを使って人間を拡張する」というビジョンは、先日亡くなったダグラス・エンゲルバートによって 1960 年代にすでに提案されています。彼の発明であるマウスは、最も古く最もつかわれている AR デバイスであるともいえます。現在、情報技術の発展が臨界点に達して、彼の発想が一斉に花開こうとしているところなのかもしれません。
- ヘッドアップディスプレイを装備しているものを AR カーナビと呼んだりすることもあるようですが、 ここではヘッドアップディスプレイの有無に関係なく、すべてのカーナビを AR として捉えています。
- この連載の「和のアーキテクチャ」の章で議論する予定です。
- 「レイヤー化する世界」 [佐々木俊尚, 2013]で「レイヤー」と呼ぶ対象も、コンテキストの一部です。
- 「生きている地球レポート」http://www.wwf.or.jp/earth/
- 「地球規模の人口増加について」
http://www.ted.com/talks/lang/ja/hans_rosling_on_global_population_growth.html - 「携帯電話を手にしたアフリカ牧畜民、その光と影」
http://synodos.jp/international/4885/2 - [ミチオ・カク, 2012] [鈴木健, 2013] [エリク・ブリニョルフソン, 2013] [佐々木俊尚, 2013] [松田卓也, 2012]
- 筆者は人間の脳はデジタルコンピュータとは異なる原理で機能しており、テューリングマシンと等価なコンピュータ では模倣できないのではないかという仮説を支持しています。たとえば [ロジャー・ペンローズ, 1994]参照。
文献目録
- アンドリュー・マカフィー、エリク・ブリニョルフソン . (2013). 機械との競争. (村井章子, 訳) 日経 BP 社.
- ミチオ・カク. (2012). 2100 年の科学ライフ. (隆央斉藤, 訳) NHK 出版.
- ロジャー・ペンローズ. (1994). 皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則. (林一, 訳) みすず書房. 佐々木俊尚. (2013). レイヤー化する世界. NHK 出版.
- 松田卓也. (2012). 2045 年問題 コンピュータが人類を超える日. 廣済堂.
- 鈴木健. (2013). なめらかな社会とその敵. 勁草書房.